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人の目を引く「名物」で下北を元気にしていきたい

鳥山和之さん(むつ市出身、むつ市へUターン、家業手伝い、空揚げ専門移動販売ああああ「鳥くん」経営)

・プロフィール

田名部中→八戸工大一高校→国際武道大学(千葉)中退→東京の和食店、京都の京料理店などで8年ほど料理修行→35歳でUターンし、家業の「むつドライブイン」手伝い→唐揚げの移動販売を展開[いまココ!]

☆実家は下北初のドライブイン でも、継ぐ気はなかった☆

  実家のドライブインは、祖父が「はまなすライン」(むつ|野辺地)で最初に始めました。昼時はもちろん、週末も大忙しで、休日に両親にどこかに連れて行ってもらったことがありません。店を継ぐ気はまったくなく、小学2年から始めて剣道を続けたくて東京の大学に進みました。

☆面白くなかった料理 同期と競い、技術身についた☆

  せっかく大学に行ったのに、ドライブインの立て直し資金が必要になり、たった1年で中退。仕方なく、料理の基本を身に付けようと東京の料理店で修行を始めましたが、料理は面白くないし、遊びたい盛りでまったく気が入らなかった(苦笑)。でも、親方が「本気でやってみろ!」と京都の京料理店を紹介してくれたことが転機に。先輩の下で「同期より一歩でも先へ」と競争しているうちに、魚のさばき方、野菜の扱いなど自然と身につき、技術も高まりました。

☆経営状況が良くないのに、新しい提案を受け入れない父☆

  長男なので、「いつかは継がないと」と思っていはいて、結局、35歳で実際に戻りました。経営状態は決して良くないのに、父は「待っていれば、いつかいぐなる」と言うばかりで、新しいことを提案しても「ダメだ」の1点張り。“しょうがないから、ドライブイン手伝いの給料はもらわず、新便配達で自分の収入を得ていました。そんな時、車での配達途中、事故に遭いました。幸い大事故にいたらず、オヤジがようやく「配達は辞めろ。やりたいこと、やってみろ」って。

☆地域初の「唐揚げ専門店」、移動販売で認知度アップ☆

  「やるなら、はまなすラインの名物になるものを!」と思いました。当時、東京で流行り始めていた唐揚げ専門店をヒントに、ドライブインの駐車場一角に唐揚げ専門のブースを作り、ドライバーが食べやすいよう串に唐揚げ3つを刺して「鳥くん」として売り出しました。いろいろな地域で味わってもらおうと移動販売も始め、むつ、野辺地、青森市や奥入瀬町などのスーパー、各地のお祭りにも出没しています。

  これからは、クレープやピザなどの移送販売仲間で何かイベントをしたい。地元の農家さんと一緒にバイキングの店や、「回転焼き肉」もやってみたい。人が「え⁈何これ?」と驚くことをやって、むつ市を、下北を元気にしていきたい!(取材・文:小畑智恵)

※写真は鳥山さんと生姜、ニンニク、塩といったスタンダードの他に、タルタルソース、根岸尾などの唐揚げのトッピング。

地元で歌えるようになって幸せ

育ててくれた青森に恩返しを

ずれやまズレ子さん(むつ市出身、東京都在住、シンガーソングライター)

・プロフィール

田名部高校→上京して家電販売店、レンタルビデオ店、デザイン事務所などの12の職を転々とする→「ずれやまズレ子」として歌い始める→CD発売、都内や青森県内でのライブが増え、音楽活動が活発化[いまココ!]

☆11歳から曲を作り始めた 仕事をしながら「歌を歌いたい」☆

  青高校卒業後に上京し、いろいろな職場でそれなりに成績も上げたけど、ずっと歌を歌いたかった。11歳の時にいとこからギターをもらい、フラメンコバージョンの「禁じられた遊び」を聴いて楽譜もないのに一晩でコピーしちゃったの。その頃から友達と一緒に曲を作り始めて、高校生時代は軽音楽サークルに入って、デモテープを作ってオーディションも受けました。

☆カミングアウトできたら詩の世界観が変わった☆

  小さい頃から、ままごとや人形遊びが楽しくてね。自分のそんな部分は隠し続けるつもりだったんだけど、30代の時に同じ境遇人に出会ってしまったの。その時、初めて自分のことを話せた。それから、親しい女友達にカミングアウトしたら、「ああ、やっぱり」って(笑)。そして、「あの歌詞の本当の意味が、ようやくわかった」とも言われたわ。その後、詩の世界観が変わって、自分の気持ちで歌えるようになった。

☆ご当地ソングで開いた“扉” オファーを受け、地元で歌う☆

  やっぱり歌で身を立てたくて、ご当地ソングを作ってラジオ番組に売り込むうち、2008年に「マリモに触れたら阿寒湖」が北海道の棒ラジオ番組のヒットチャートでベスト10入りしてね。同時期に芸能事務所の扉が開いて、首都圏のテレビやラジオにも少しずつ出るようになったの。青森の歌はね、「夏・恋・ラッセラー」「おんなの九艘泊(くそうどまり)」など作ったわ♡

  2013年、下北沢で青森女子がイベント的に開いた「下北ワインバー」に行ってから青森へのパイプがつながった感じ。江東区亀戸にある「下北半島交流ショップ むつ下北」の河野祟章さんと知り合い、むつ市と江東区の共催イベント「むつとの遭遇」で歌ったことがむつ市の広報誌に載り、それを見た大畑の商工会青年部から「花火大会で歌ってほしい」とオファーが来たの。津軽海峡を舞台に作詞作曲した歌を、大畑港の野外ステージで夕日を浴びながら歌った時は泣きそうだった~!CDを売っていた時、同級生が「おー」って声掛けてくれた時はこっぱずかしかったけどね(笑)。

☆青森でのステージも増えた いただいたご恩は忘れない☆

  ありがたいことに青森県内で、去年は7回、今年も5回以上、歌わせていただいています。青森県民の皆さまに育てていただいているご恩は忘れないわ。いつか青森ゆかりのアーティストを集めた音楽祭を開いて、収益を青森県民に還元したい。それが実現できるまで

頑張るわ~!(取材・文:小畑智恵)

※写真は2014年、下北つながりの人たちが亀戸のお店で開いてくれたライブでずれやまズレ子さんが熱唱しているところです。