「あおつな」が、ちょっとだけ掲載されました!

今週発売の「ふぃ~らあ倶楽部(10-11合併号)・あおつな企画」に

青森暮らしサポートセンターの野呂由香里さんと

十和田市にUターンし起業した村岡将利さんが紹介されました。

 野呂さんは「行き来しながら東京と故郷の関わりを広げる」で、

村岡さんは「地元で働く選択肢を増やし、起業家育てる」と、

お二方とも、ナント、かっこいい!!  どんどん、活躍してほしいですね~応援するべぇ~

行き来しながら 東京と故郷の関わりを広げる

野呂由香里さん(青森市出身、東京都在住、青森暮らしサポートセンター 移住・交流相談員)
*編注:野呂さんは2017年3月で退職され、現在は、澤千絵さんが勤務していらっしゃいます

あおもり暮らし:青森県移住・交流ポータルサイト
http://www.aomori-life.jp

青森暮らしサポートセンター(東京・有楽町)
https://www.facebook.com/aomorigurashi/

・プロフィール
青森高校 → 東京学芸大学(東京) → 編集プロダクションなどに勤務(東京) → 3年間、青森で生活 → 青森暮らしサポートセンター(東京)

☆「こんな人、来て!」 方向性見える地域に移住☆

 青森暮らしサポートセンターは、各地の移住相談窓口が集まるNPOふるさと回帰支援センターに、あおもり移住・交流推進協議会が2014年に設置しました。移住を考える方に県内自治体をおつなぎし、情報の収集・発信をしています。移住者が多い地域は、「誰か来てください」ではなく、「こんな地域にしたいから、こんな人に来てほしい」と方向性が明確。地域が見える情報を発信できると、「ほしい人材」が集まるようです。

☆人口減少や商売の存続 強烈な危機感で真剣に☆

 島根県は、25年ほど前から移住対策を進めています。隠岐島に始まり、県内全域での高校魅力化プロジェクトも進んでいて、魅力化に取り組む皆さんの真剣な話を聞くと、感動して島根に行きたくなります(笑)。学校が無くなると人口減少が加速するという強烈な危機感があるんですね。
 全国的に、農業法人やJA、商工会など、自分たちの商売が成り立たなくなる危機感を持つ民間が積極的に移住支援に動く例が増え、移住者を受け入れるNPOも増えています。同じ土地に住み、一緒に食いぶちを稼ぐ人達が動くと、人は根付くんですね。

☆青森を離れると 青森の情報がほしくなる☆

 青森を離れるのは2回目。大学卒業後に編集などの仕事をしていて体調を崩し、青森に帰った時期に島根県海士町の本などを読んで「地域での新しい暮らし方」に興味が湧きました。“やり残した感”があってまた上京したんですが、青森を離れると、青森の情報がほしくなるんですね(笑)。その頃、窓口のお話をいただきました。


☆東京の論理で何ができる?
結局、「住む人」次第☆

 「おカネがあれば幸せなのか?」と、都会の人達は疑問を感じてきています。だから、地方の暮らしが注目されている。
 青森にはステキな人、地域がいっぱいあり、他地域に劣るはずはない、移住促進にできることはもっとあるんじゃないか、と思うんですが、それは東京にいる人間の論理、奢り。結局、住んでいる人が思うようにするしかないんですよね。窓口担当としてのジレンマです。
 地元にずっといて地元の良さを感じられる人もいると思うけど、私は行き来していないとダメみたい。東京にいると、青森の良さがまっすぐ見えます。青森と東京を行き来しながら、関わりを広げていきたい。(取材・文:小畑智恵)

◆じんじんの「イイんでねぇが〜」
青森を離れると、青森の情報がほしくなる。わかるなぁ、その気持ち…。青森と東京を行き来しながら、青森と東京の架け橋になってもらいたいですね。実現しよう青森と東京の2地域居住。ケッパれぇ!!

地元で働く選択肢を増やし、起業家を育てる

村岡将利さん
十和田市出身、十和田市へUターン
株式会社 ビーコーズ 代表取締役社長

<連絡先>
株式会社 ビーコーズ
https://www.facebook.com/StartBeCause/

十和田工業高校 → 東京電機大学(東京) → ITベンチャー企業に就職(東京) → web制作会社(東京) → 27歳でIT個人事業主、中学の同級生と結婚(東京) → 29歳でUターン、起業[いまココ!]

☆変わらない会社の体制 「自分でやればもっと稼げる」☆

 高校卒業後に就職しようと思ったけど叶わず、東京の大学へ。情報通信工学を学ぶうちITに興味が湧き、ITベンチャー企業に就職しました。「体制を変えれば、もっと売り上げが伸びそう」と思って動いたけど、会社は結局変わらない。一人のほうがいい仕組みが作れて、もっと稼げると思った。

☆Uターンに向けて 仕事も貯蓄も計画的に☆

 東京は家賃が高いのに部屋は狭くて、満員電車もストレス。消耗する生活でした。もともとあった「地元に帰りたい」気持ちが大きくなり、個人事業主になるためにweb制作会社に転職しました。
「独立したいので3年で辞めます。でも、働く間はどんな地獄も味わう覚悟です」と、入社時に上司に言ったら理解してくれて、必要な経験をたくさんさせてくれました。膨大な仕事をこなしてスキルを高め、お金を貯め、1年半で辞めました。

☆地元で、東京で、情報交換し 手に入れた余裕ある暮らし☆

 独立後はUターンを意識し、会議や打ち合わせはリモート中心で。独立2ヶ月後に結婚しました。中学校の同級生で、上京した時から付きあい、心の支えとなってくれた妻は東京の暮らしがお気に入りでしたが、一緒に戻ってきてくれました。
 正月やお盆に地元の友達と飲んだり遊んだこと、東京で県出身の人たちと情報交換したことも役に立った。東京よりも安い家賃で、十和田市街地に2階建ての一軒家を借りられたのは、友達の紹介のおかげ。様々な人が集まれるよう、広い家を選びました。
 今は余裕ある暮らしが心地イイです。親戚や親からサバ、イカ、ウニ、野菜など食べきれないほどもらうし、空がメチャクチャ広くて、すっごい気持ちいい。行ったことなかった奥入瀬とか淋代海岸も、チョー新鮮!

☆最初の塾生は元同級生 「稼げる若手」育てたい☆

 一人ひとりが大義を持って働く社会を作るというのが会社のビジョン。変化するきっかけを持てるよう、地域に選択肢を作りたい。
「数年かかっても、自分で稼げるようになりたい」と、林業に従事する中学の元同級生が訪ねて来てくれたので、塾を始めました。最近、地元企業さんから新しい仕事が入り、「地元で事業やってるんだ!」と実感しました。仕事を増やして地元人材を採用し、若手起業家も育てていきます!! (取材・文:小畑智恵)

◆じんじんの「イイんでねぇが〜」
ショウリくん、カッコイイ仕事の仕方、素敵な生き方です。そして奥様も、理解して、ついてきてくれて…。これから、どんどん仲間を作っていって、大いに活躍してほしいのぉ〜。たくさんの人が注目しています!応援すべぇ!