7803人。2018年の青森県内の出生数である。

県人口動態統計の概況によると、前年の8035人より232人減少した。間もなく還暦を迎える1960年生まれの2万9881人に比べると、18年は3割に満たない。そして、死亡数は1万7936人。初めて死亡数が出生数を上回った99年から約20年を経過するが、1万人以上の差まで広がった。

国は、日本の人口が08年の1億2800万人をピークに減少に転じたことを憂慮して、14年12月に若者による地方での雇用創出や東京圏への転入抑制などを柱とした「まち・ひと.しごと創生総合戦略」を策定した。この戦略で、不思議に感じるのは「人口減少の歯止めとして国民の希望が実現した場合の出生率(国民希望出生率)を1.8」を目標として掲げていることである。

この出生率の恨拠は年間出生数を100万人に維持するためだと思われるが、出生率の向上が人口減少の歯止めとどう連動するのかが、よく分からない。

合計特殊出生率は05年に全国平均1.26と急激に落ち込んだが、同年の出生数は1o6万2530人だった。ちなみに同年、青森県は1.29でも1万0556人が出生している。

全国の18年の合計特殊出生率が1.42と上昇したのにも関わらず、出生数は91万8397人で、統計を取り始めた1899年以降で最少を更新したのである。青森県は1.43だったが、05年よりも約3千人少ない7千人台に落ち込んだ。合計特殊出生率が上がっても子どもを持つとされる若年女性数が減っているためで、出生数自体は増えない。人口減少は出生の絶対数の問題だと思ったのだが…。

こうした点を踏まえると、「年間出生数100万人の維持」を掲げたいところなのだろうが、なぜ「出生率1•8」としたのか不可解だ。年間出生数100万人は”不都合な数字”なのだろうか。

青森を含む地方では、自然減に加えて若者の流出などによる社会減の増大が人口減少に一層の拍車をかけている。

社会減の克服に向けては、個人的に県職員時代の13年度から、首都圏などで移住関連イベントに携わってきた。こうした取り組みを通して、移住予備軍になるような若者や”自称若者IIを発掘してきた。そして、実際に青森に移住した人たちが小さいながらも、つながりが形成されて、県内で交流が図られている。これらが広がって大きな渦となれば、今後地方の活力に寄与していくだろう。

青森から流出した若者などをつなぐネットワークの構築が“補助線”になると思っている。「運命の赤い糸」ならぬ「青森」という「運命の青い糸」として、つなぐ“ゆるいネットワーク”。重要なのはこの中で、人と出逢い、自分の生き方の多様性を見いだしていく。そのことで一つの選択肢として「青森に住む」ことを意識する。

 5年後、10年後の暮らし方は仕事や健康状態、家庭環境などによって大きく変わる。多様な選択肢が柔軟な暮らし方を可能にする。

「不都合な数字」を看過することなく向き合いながら、歌手中島みゆきさんの「糸」の歌にある「逢うべき糸」を青森色に染め、「仕合せ」という運命のめぐりあわせを演出していく。このことが、人口減少社会の克服への着実な一歩として進むことを確認している。

一般社団法人あおつな創出プロジェクト 代表理事

神直文 じん・なおふみ

1958年、黒石市生まれ。

青森県職員時代、 下北や東青地域で地域づくりを担当。 退職後、 首都圏から青森回帰の仕組みづくりに向けて活動。 NPO法人ぷらっと下北代表も務める。青森市在住。