ろぉ~山田さんと蔵田さん!

たぶん、2018年11月25日から発売していると思いますが「ふぃ~らぁ倶楽部2018 2019 12・1号、あおつな企画」に昨年、青森県大鰐町に、りんご農家を継ぐため御夫婦で移住した山田晃平さん(奥様はIターン)と現在、青森市と東京都目黒でフラワーショップとフラワーデザイン教室を主宰する蔵田由貴美さんが登場!

今回のお二方は、なんかカッコイイ…
山田さんは、東京などでの経験や人脈の活用を考え100年以上続くりんご農家を、継ぐために移住。蔵田さんは、自分の好きな花の仕事を活かし青森と東京を行き来するモデルのような二地域居住。

これまだ、今回もいい話っこだんだ…
ぜひ、読んでもらいてのぉ~
できれば買って…(じん)

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100年続くりんご園を守り、継ぐ  経験活かし、「魅力ある農家」に!

山田晃平さん(33歳、大鰐町在住、山田果樹園)

・プロフィール

弘前工業高校 → 東北工業高校(仙台) → 広告会社で営業職(東京) → 医療系企業で営業職(東京) → 2017年11月、家族とUターン → りんご農家1年目〔いまココ!〕

☆園をなくすのはもったいない  空気読んで「戻るよ」☆

 実家は100年以上続くりんご農家で、4代目の父は「ふじ」の育ての親である斎藤昌美さんに師事しました。僕は小さい頃からやっていた野球の推薦で仙台の大学に入り、東京の企業に就職しましが、姉一人で自分は長男だし、いずれ戻る気はしていました。一昨年、祖母が亡くなった時に帰省し、自分が帰ることを喜ぶ人がいることを再認識。時々、父と話す経営方針にも共感できるし、父の代で縁を無くすのももったいないし、空気を読んで(笑)、自分から「戻るよ」と言いました。

☆東京でさまざまな人と出会い  ものの見方も広がった☆

 一度、東京に出たメリットは大きいですね。最初は広告会社に勤めましたが、地元に戻る前に営業力を高めようと転職しました。いろいろな考え方を受け入れ、消化し、新しいものの見方も発見できたし、ネットワークも増えました。妻には結婚する時に、「いずれ実家に戻るよ」と話していて、祖母の葬儀から1年掛けてUターンの準備をしました。でも、やっぱり雪は辛いみたい(苦笑)。少しずつ慣れてくれると思いますが。

☆平成3年のりんご台風で大被害  それを転機に通販スタート☆

 これまでに一番大変だったのは、やはり平成3年のりんご台風です。園地は碇ヶ関から風が通る道にあり、台風が過ぎた後、台風が過ぎた後、木には実が1個も残っていなかったそうです。でも、それが両親にとって大きな転機になりました。郵便局長さんが「落ちたりんごを個人向けに通販してみませんか」と声を掛けてくれたことで、1箱5キロを1000円で売ってみたら、何百ケースも売れました。そのあと、少しずつお客様が増えたので、独自

に通販するようになりました。

 りんごの農作業を1年間やってみて、「大変だなぁ」と思います。320アールの園地に樹齢百年以上の古木が30本、他に矮化も含めると千本近くの木があり、その1個1個の実に手を掛けて育てています。現代の農家は、自分が作ったものを自分で販売まで携われるのが魅力。販売力をもっと高めていきたい。

☆経験とネットワーク活かし  ブランド力を高めたい☆

 課題は、ジュースなど両親がいろいろ作ってきたツールに統一感がないこと。そこは自分の経験を活かし、東京で働く友人の声も聞きながら販売ツールを作り直すなどをしてブランド力をつけ、新しい販売ルートも開拓したい。身近に、30代でUターンし、海外にも足を運びながら、葉とらずりんごで高い評価を得ている若い親戚がいるので、意見を聞いたり情報交換しながら、「稼げる農家」を目指します!

 青森は、ねぶた祭りをはじめ、地域の人が一つになって参加できる伝統文化があるのもすごくいい。東京にはない「豊かな自然」のありがたも実感しています。りんごを作ってきた先人たちをリスペクトしながら、美味しいりんごを作っていきたい。

(取材・文;小畑智恵)

※写真は、山田さんの農園での一枚です。山田さんは、たわわに実がなる樹齢100年の古木をはじめとするりんごの木を、父敏彦さん(左)と守っていく覚悟を決めました。

花の仕事で青森に貢献したい!  東京と往復し、レッスンとお店経営

蔵田由貴美さん(49歳、青森市出身、東京都在住、株式会社ワイズスタイル代表取締役)

・プロフィール

青森高校 → 早稲田大学商学部 → 大手損害保険会社 → マミフラワーデザインスクールで資格取得 → 結婚退職 → 東京(自宅サロン)と青森でフラワーデザイン教室を主宰 → 青森市にフラワーショップをオープン、東京と2拠点居住〔いまココ!〕

☆好きな「花」を仕事に  センスは努力で磨く!☆

 小さい頃から花は好きでしたし、母がいつも家に花を飾っていました。大学卒業後に勤めた会社は、結婚を機に退社。その後、OL時代から趣味で通っていた教室で講師資格を取り、フランスの先生に習い、度々パリに出掛けてパリスタイルも学びました。

 自分にはデザインセンスがないと思っていました。でも、ある先生から「センスは鍛えられます。絵を描く人が模写をするように、多くのデザインを真似て努力しなさい」と言われ、「努力なら自分にもできる!」と思い、貪欲に勉強しました。

☆青森でフラワー教室開設  ギフト中心の花屋もオープン!☆

 東京の自宅で教室を始め、インテリアやアロマも学び、フラワーデザイナーとしてデパートのディスプレイやデモンストレーションの仕事もいただくようになりました。青森での教室は知人の声掛けがきっかけでした。生徒さんが増えて継続的に開催するうち、教える責任を感じるようになりました。学びたい人がステップアップできるよう、また青森ではまだ珍しい花をより多くの人に知ってもらえるよう、店舗を借りて市内初のギフト中心の花屋を開いたのが2006年。

 その頃から東京と青森を往復する生活が始まりました。朝3時起きで大田市場(東京)から仕入れた花を青森に送り、飛行機で追いかけてお店に立ち、レッスンをし・・・。忙しかったし、店の建物が古くて冬は花が凍りそうなほど寒くて、結構大変でした(苦笑)。

☆青森に自分の店舗  任せられるスタッフも育成☆

 店が手狭で駐車場もなかったので、2009年に思いきって桜川に自分のお店「Y’s Style」を建てました。当初、親は猛反対。「東京に自宅があるのに、青森のお店なんて経営できるのか!」って。でも、夫が「やりたいなら、やってみれば」と背中を押してくれました。

 自分が常駐しないだけにスタッフ育成に悩んだことも。でも、学ぶ意欲がある人が来てくれて時間を掛けて教え、東京にいてもメールやモニターなどで指導するうち、私の「右腕」に育ってくれました。

☆ふだんのことを徹底し  一生懸命やればチャンスは来る☆

 高校時代は「青森を出たい」と思っていたけど、上京したら青森の人の良さ、自然の豊かさが恋しくて、頻繁に帰省していました。だから、青森でレッスンに加え、最近は小学校で親子が花に触れる講習会「花育」などもしています。花の水揚げや店内清掃など普段の平凡なことを徹底して一生懸命やっていれば、経験が自信になり、次のチャンスを呼ぶと思っています。

 花を買いに来た方には、どんな方にどんな花を贈りたいのか詳しく伺い、思いに沿う花を選び、デザインします。青森で花が好きな人がもっと増えれば嬉しい。そして大好きな青森に、もっと花で貢献していきたいです。

(取材・文;小畑智恵)

※写真は、教室の様子です。レッスンは幅広い年代の方が受講し、和気あいあいとしながら、真剣な空気が漂います。