ろぉ~西村さんと菊池さん!

もう発売していると思いますが「ふぃ~らぁ倶楽部2018 10・11号、あおつな企画」に東京都北千住などで「ごっつり」など3店の飲食店を経営する八戸市出身の西村さんと昨年、青森県平川市に家族で移住。現在、平川市と横浜市で設計事務所を開設し、2地域居住をしている菊池さんが登場!

今回は、けっこう濃いお二方…
西村さんは、八戸とサバを前面に首都圏でバシバシ発信するなど、かなりケッパています。
また、菊池さんは、「家族」をキーワードとした家造りをお客様と一緒に考えるという…

これまだ、今回もいい話っこだんだ…
ぜひ、読んでもらいてのぉ~
できれば買って…(じん)

2地域居住で独立と親孝行を実現  「家族の幸せ」増やすお手伝いを

菊池暢晃さん

(40歳、平川市出身、平川市と横浜市で2地域居住、建築設計事務所「アップルアーキテクツ株式会社」経営)

・プロフィール

弘前工業高校 → 測量会社+夜間の専門学校で建築を勉強(東京) → アパレル販売員 → 住宅メーカーで営業+結婚 → 建築設計事務所設立〔いまココ!〕 → 全国、そして世界展開⁉

☆モノをつくる仕事をしたかった  40歳目前に独立、起業☆

 高校卒業後に東京の測量会社に就職しましたが、モノをつくる仕事がしたくて、夜間の専門学校に通って建築関係の勉強をしました。デザインにも関心があったのでアパレル会社で販売を経験した後、14年間、住宅メーカーに勤務。2017年に独立して建築設計事務所を創業、平川市に本社を置きました。社名にもWebサイトのデザインにもりんごを使って、平川市をアピールしています。

☆何のために家を創るのか  「家族のビジョン」をカタチに☆

 弊社の特徴は、設計に入る前に「家族のビジョン」をお客様と一緒に考えることです。基本的に35年ものローンを組むような大きい買い物ですし、予算もあると思うので、「何のために家を創るのか」を軸に、現在から35年後まで見通して、お住まいになるご家族の皆さんと一緒に3カ月掛けてご相談させていただきます。お子様が将来何になりたいのか、お父様の趣味は何か、とか。このビジョンを明確にすることで、「家族にとっていま必要のないもの」をそぎ落として、シンプルにしていきます。必要になった時、必要なものを加えていく考え方です。

☆長男だからお墓を守る  Uターンし、横浜にも事務所☆

 平川市へのUターンに合わせて、本社でありモデルハウスとしても活用できる自宅を建てました。でも、横浜にも事務所を置き、1ヶ月の半分くらいは首都圏で仕事をする2地域居住をしています。「長男の自分が、家のお墓を守らなければ」という思いがもともとありました。だから、埼玉出身の妻には、付き合い始めた時から「いずれ青森に帰る」と宣言し、お盆や冬に一緒に連れてきては両親、友達に紹介していました。そんな作戦が成功し(笑)、昨年、小学校に入学した長男も2歳だった次男も、すんなり津軽に溶け込んでいます。

☆経験から家族の大切さ実感  “幸せの種”をまきたい☆

 両親は忙しく働いていて、あまり遊びにも連れて行ってもらえませんでした。自分の建築理念を考えた時、「家族と暮らす時間」を核に据えようと思ったのは、そんな自分の経験があるからかもしれません。「家を造る」という経験の中で、関わってくださったご家族の幸せが大きくなるようなお手伝いができればと思っています。今は首都圏での仕事が多いですが、青森県内での仕事も増やしたい。そして3年後に全国へ、5年後には世界へ仕事を広げて、“幸せの種”を巻いていきたいという大きな野望があります。

 私が横浜にいる間、子どもたちと離れますが、自宅から歩いて15分の場所に弟夫婦と暮らす両親が、毎日のように孫に会いに来ています。ちょっとは親孝行できているかな。

(取材・文;小畑智恵)

※写真は、本社でありモデルハウスでもある自宅です。この自宅は一家全員でビジョンを話し合って創られたそうです。

「東京にいるからできる」応援を  サバを旗印に、八戸を絶賛PR!

西村直剛さん(50歳、八戸出身、東京都在住、株式会社ごっつり 代表取締役)

・プロフィール

八戸高校 → 専修大学 → 1年生の3月から休学、地元に帰って家業を手伝い → 倒産後に再び上京、運送会社でバイトをしながら大学復学 → 中退 → 運送会社でアルバイトを経て社員に → 結婚 → フランチャイズの飲食店経営 → 自社店舗を経営しながら地元に貢献〔いまココ!〕 → 首都圏で店舗数増やしたい

☆甲子園の土を踏んだ!  野球漬けだった青春時代☆

 小さい頃から兄貴と一緒に野球をやっていて、高校3年の時は八戸高校が甲子園に行くという歴史的な瞬間に立ち会えたのは嬉しかった。春の大会ではサードでクリーンナップを打っていながら、大事な夏の大会では肩を壊して代打に専念。憧れの甲子園では“最後のバッター”になってしまったのが、甘く苦い思い出。青春だったな~(遠い目)。

☆家業が傾き、キツかった頃も  今は3軒の飲食店を経営☆

 大学に入ってから家業が厳しい状況になり、休学してから手伝ったけど立て直すことができなかった。夜逃げして再び上京し、運送会社でバイトしながら復学、就職と17年間、夢中で働き、40歳で飲食店を始めました。足立区の北千住でフランチャイズのホルモン屋を始め、その後、立ち飲み屋をオープンしました。それから10年。現在、全国展開を目指し、北は北千住、南は南千住まで(笑)、3軒の飲食店を経営しています。

☆八戸前沖さばと“衝撃の再開”  串焼きを店の看板商品に☆

 店を始めて間もなくの頃、偶然出会ったのは、地元八戸で獲れる八戸前沖さばでした。その頃、八戸前沖さばの串焼きを始めていた知人に勧められた時は、「サバなんて食べ飽きてるし、なんで今さら?」って思ったんだけど、食べてみたら「なんだ、こりゃ⁉」ってくらい美味しかった。早速、店のメニューに取り入れました。世田谷や目黒でのイベントに出店し、最初は1日150本しか売れなかったけど口コミでファンが増え、今では行列ができて多い時は600本以上売れます。反応が素直で嬉しい。

 店には首都圏の青森県人はもちろん、出張で上京した県人や青森ファンの人がたくさん来てくれます。自分はしょっちゅうジョッキ持って、店内を歩き回っています(笑)

☆16年ぶりの大相撲巡業を実現  少しずつ「地元に恩返し」☆

 サバを使い始めた事で、首都圏でのアンテナショップとして八戸をPRする仕事をもらうようになり、メディアにも「青森」「八戸」「サバ」といった切り口で度々取り上げてもらっています。ありがたいですね。

 相撲のタニマチをしている企業の社長さんが店に来てくれたことから、2015年には、大相撲巡業八戸場所を実現できました。実行委員長をさせてもらい、お陰様で16年ぶりの巡業は満員御礼に。「親に相撲を見せることができた」といった声をたくさんもらって、ああ、頑張ったかいがあったな、と。巡業での利益も、児童養護施設や蕪島神社に寄付しました。家業の倒産で地元のたくさんの方に迷惑を掛けたという後ろめたさがずーっとあった。でもようやく、少しずつだけど地元に恩返しができるようになってきたかな。

 東京で店をやりたい若い人には、「ビビるな!」と言いたい。まず、やってみろ。人も紹介するし、相談に乗るよ。これからも、東京から八戸を、そして首都圏で頑張る青森県人を応援し続けます。

(取材・文;小畑智恵)

※写真は、西村さんのお店です。せんべい汁やバラ焼き、地酒など、青森の味をたっぷり楽しめる店にはプライベートで芸能人が来ることもあるらしいです。